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局長日誌24 メーホンソーン案内記 最終話

 翌日の朝、空港でチェックインの手続きを終えた私達は、場内の待合所で11時05分発チェンマイ行きの飛行機を待っていた。私は前日の酒がまだ残っていていささかグロッキーであったが、相変わらず『武士の臨戦姿勢』を保ったまま空港ロビーの椅子に腰掛けていた。そんな私を見て昭恵夫人がクスクス笑う。
  
 やがて空港内に搭乗案内のアナウンスが流れ、場内の人達が動き始めた。そしてあっという間に長い行列が搭乗口の前にできた。 
「小西さん、よかったら私と席を替わりませんか。せっかくの機会だから昭恵夫人とお二人でお話されたらどうですか。」私の後ろで列に並んでいた岩城さんがそう提案してくれた。岩城さんの座席は、昭恵夫人の隣の席であった。 私は岩城さんのお心遣いに深く感謝し、ありがたくその気持ちをいただいた。

 タラップを昇り飛行機の機内へ入って席へと向う。昭恵夫人は既に着席していた。会釈をして隣の席に座る。しばらくすると機内にシートベルト着用のサインが出た。それからまたしばらくすると飛行機はおもむろに動き出し離陸準備の態勢に入った。やがて滑走路を走り出した飛行機はメーホンソーンを離陸した。
 
 昭恵夫人の隣の席を譲ってもらったものの、私は、何から話したらいいか分からなかった。伝えたいことは山ほどあるはずなのに中々口をついて出てこない。沈黙したままというのもなんなので、私はタイの世間話やタイの政情、今後は日本とタイの間で農作物の取引や人的交流が益々盛んになるであろうということを私の知っている範囲で昭恵夫人に説明することからはじめた。

「小西さんは日本に帰らずにこれからもずっとこちらで活動されるのですか。」私の話を聞いていた昭恵夫人がそう尋ねた。私は昭恵夫人の目をしっかり見て、タイにこれからも留まり活動を続けること、タイで一段落ついたら今度はビルマにも活動の域を広げること、そしてビルマの次はインド、ラオス、カンボジア、ベトナム、インドネシア、フィリピンそして台湾を経由してこの活動を日本へ繋げたいということを話した。
「これはもちろん私一人では成せないことですし、私の代でできるかどうかは分からないけれど、その礎となって死ねたら私は本望です。しかし日本が私のような男でも必要とする時が来れば、その時はいつでも日本に帰ります。」私は一気に胸の中にあったものを昭恵夫人に伝えた。昭恵夫人は目をそらさずに私の話を最後まで真剣に聞いてくれた。
「日本に帰っても私のことを覚えていてくださるなら、安倍先生にどうか伝えてください。タイに安倍先生のことを尊敬しているこういう男がいるということを。」私は昭恵夫人にそうお願いした。

 その後もいろいろと話したが、特に人の縁について話をしていたら昭恵夫人がこう言った。
「東京に住んでいても出会えない人、縁がない人はたくさんいます。たとえマンションの隣同士であってもお互い知らない人というのが今の日本ではざらにあります。それがタイという遠い異国で小西さんと会ったということに不思議な縁を感じます。もしかしたら私達は前世で兄弟だったのかもしれませんね。」私は昭恵夫人にそう言っていただき身に余る光栄だった。飛行機の非常口を開けて飛び降りたくなるくらい嬉しかった。
「いえ、滅相もありません。多分私は前世で昭恵奥様の家来だったんだと思います。」と答えるのが精一杯の私に昭恵夫人は思わず笑った。

 人と人との縁は不思議なものである。昭恵夫人にとって私はおとといまで知らない人。私にとってはメディアの中でしか見たことがない人。そしてこの縁は、昭恵夫人を今回お連れしてきた将口さん、将口さんを私に紹介してくれた長崎放送の熊切さん、慧燈財団の活動を取材していた熊切さんを私に紹介してくれた調前理事長、前理事長が慧燈財団を立ち上げるきっかけとなったタイ・ビルマ方面戦病歿者つまり日本兵士の英霊に辿り着く。

 そんなことをいろいろと考えているうちに30分のフライトも終わり、飛行機はチェンマイへ到着した。この日、皆さんは14:40分発のタイ航空TG111便でバンコクへ向かう予定である。その後、昭恵夫人と岩城さんはビルマを経由して日本へ、将口さんは直接日本へ戻るという。いずれにしても次のフライトまでは少し時間があるので、私達は空港近くのデパートで昼食をとることにした。私達は空港の駐車場に止めていた慧燈財団のピックアップトラックに乗車してデパートへと向かった。昭恵夫人はピックアップトラックの荷台が気に入ったようで、後ろの荷台に乗り込んでいた。道の途中、日本人と思しき人達を見かけたが、きっと彼らは荷台に乗っている女性が昭恵夫人であろうとは思いもしなかっただろう。

 デパートへ到着した私達は、将口さんの提案でタイ風スキヤキの店『MK』で食事を摂ることにした。『MK』レストランはデパートの最上階にある。私達はデパート内の見学がてら、エレベーターを使わずにエスカレーターで4階まで上った。ここでもたくさんの日本人とすれ違ったが、まさか昭恵夫人がこんなところを歩いていると思いもしなかったとみえ、誰も昭恵夫人に気付いた人はいないようだった。
  
 タイスキヤキに舌鼓を打った後、私達は真っ直ぐ空港へと戻った。チェックインカウンターで荷物を預け、搭乗券を発行してもらう。時計の針は既に14時15分をまわっている。私達は喫茶店でお茶を飲む暇もなく、空港2階の出発口へと向かった。
 
 いよいよ別れの時がきた。私は、ここでたくさんのお客さん達をこれまで見送ってきたが、今回は、正直言ってこのまま昭恵夫人についていきたいと思った。昭恵夫人とは、2日間という短い間であったが、たくさんの目に見えない力をいただいた。新たなご縁に感謝しつつ、感慨深い想いを胸に秘め、将口さんそして岩城さんと別れの固い握手を交す。そして最後に昭恵夫人と握手を交し名残を惜しんだ。その直後、ちょっとしたハプニングが起こった。私は手に持っていたカバンを落としそうになりながら、そのハプニングに対してただ呆然と突っ立っているだけであった。

 こちらに向かって手を振りながら、ゲートの向こう側、出発ロビーの雑踏の中に消えていく3人。再会を願い、私も大きく手を振って応えた。

 皆さんを見送った後、私は事務所を目指して車を走らせた。一人になると心にぽっかりと大きな穴が空いていることに気付いた。楽しかった2日間の記憶が甦る。ぼんやりしながらチェンマイの環状線を走っていると前方の空を上昇飛行しているタイ航空の飛行機が私の視界に入ってきた。時間帯から考えると昭恵夫人達が乗っているTG111便に間違いない!私はブレーキを踏み込みその場に車を停車した。この日、チェンマイの空は高積雲が多く立ちこもっていた。飛行機はその雲に向かってぐんぐん上昇を続けている。私は車から下車して道路に降り立った。そして飛行機が飛んでいる方向を向いて手を合わせ、その後の旅が無事であるよう祈念した。機体はやがて雲の中に飲み込まれて見えなくなった。




昭恵夫人をチェンマイ空港で見送るときに詠める歌 二首

 旅立ちて   御姿ここに あらずとも  清けき君の  かほる残り香
たびだちて みすがたここに あらずとも さやけききみの かほるのこりが


 敷島の   大和の国に  戻るとも  シャムの武士  忘るな君を
しきしまの やまとのくにに もどるとも シャムのもののふ わするなきみを


 


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テーマ : タイ・チェンマイ - ジャンル : 海外情報

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