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局長日誌23 メーホンソーン案内記 第7話

 車窓の外には、山、田んぼ、バナナの木、高床式の住居、この4つの要素だけで構成される景色が、帰りの道でもやはりだらだらと続く。来た道と同じ退屈な景色である。日はすっかり西に傾いて「山は向背を成す斜陽の裏」の風情あり。 強行軍的な日程とカーブに揺られるワゴン車の相乗効果からだろうか。将口さんと岩城さんは車中で一眠りされている。昭恵夫人はといえば、外の景色を見ながら何か考え事をされているようである。3次元的な事象という観点から言えば、今回行く時に通った道の景色も帰り道の景色も同じである。しかし、戦中戦後ここで実際にあった多くの出来事を今日知った昭恵夫人の心の目には、まったく違った景色に見えているのかもしれない。 

 帰りの道はほとんど下り坂だったので、行く時よりも時間がかからなかった。とは言っても1時間以上はかかるので、ホテルに着いた時には日も暮れて、ちょうど夜の帳が下りようとしている頃だった。 チェックインを済ませた私達は一旦それぞれの部屋で少し休んでから、ロビーに集まり、ホテルの送迎車で夜のメーホンソーン市内へ繰り出した。 

 市内のメインストリートで車を降りた私達は、ぶらぶらと歩きながら今夜のレストランを探すことにした。メインストリートには、60ワットの裸電球をぶら下げたタイ料理の屋台や山岳民族の民族服や手工芸品を売る出店が所々に並んでいる。メインストリートとはいうものの、端から端まで歩いてせいぜい30分もかからないこじんまりとした目貫通りである。
その目貫通りを真っ直ぐ終わりまで行くと、メーホンソーンにしては珍しい信号機付きの十字路の交差点にさしかかる。その交差点を左に入って20歩ほど行ったところの右手にある『ラッキーカフェ』というレストランに私は皆さんを案内した。
このレストランはほどほどに観光客向け、ほどほどに地元の人向けという感じのレストランである。

 「おつかれさまでした!」タイの地ビール『シンハー』でまずは乾杯する。メーホンソーンを流れる『パイ川』で採れる川魚を酒肴にして、私達は旅の労を互いにねぎらった。 食事中は、今日の出来事や世間話などで話題が尽きない。一杯二杯とシンハービールが入ったグラスを空けるとともに私も漸く緊張の糸が解けてリラックスしてきた。 ちょっとだけ饒舌になった私は、慧燈財団の活動や慧燈財団を創立した調前理事長のこと、前理事長の自坊『因通寺』に戦後開設された戦争罹災孤児養護施設『洗心寮』を昭和の天皇陛下が行幸され時のことそして『百万人針の大幟』のことを話した。それがきっかけとなり、この日から数えて約2ヵ月後、私は三人を因通寺にご案内することになる。

 ラッキーカフェで食事を終えた私達は、交差点の角にあるビアバーに店を移すことにした。空腹感はさっきの店で満たされたが、もう一つ飲み足りない。 私はいい店があるからと言って皆さんをそのビアバーに誘った。 既にラッキーカフェでほろ酔い加減になっていた私は、それを悟られまいと背をビアバー内の角に建っている柱に向けて椅子に浅く腰掛け、背筋をやや伸ばして顎を引き、両手は二こぶし分開いた膝の上に軽くのせた姿勢―私としては武士の臨戦態勢のつもり―で皆さんと話を続けた。

「小西さんっていつもそういう風にビシッとされているんですか?車中でもずっと背筋を伸ばしてビシッとされていましたし。」 テーブルを挟んで私の右向かいの椅子に座っていた昭恵夫人が私の姿勢を見てそう言った。
「ええ、いつ何が起きても対応できるように、そして常々隙を作らないようにと普段から心がけております。実は、私は日本の武道が好きで剣術、居合道、柔術、合気道などを昔修行しました。」
「実は私、なぎなたを習っているんです。」
「そうなんですか、私も武道を愛する者の一人としてなぎなたには興味があります。」

「ほら~、タイに来る前に小西さんのことを説明しておいたとおりでしょ。小西さんはいつもこうビシッとしていて隙がないんだよ。ちゃんとしておかないとぶった斬られちゃうんだから。」 昭恵夫人の真向かいに座っていた将口さんが冗談交じりに言った。 
「ちょっと~将口さん、私のことを一体どんな風に説明されたんですか?」 私の人物像が皆さんにどう説明されているのか興味があったので、テーブルを挟んで私の左前に座っている将口さんの方に顔を向けて説明を求めた。その時である。すっと微かに動く空気の振動を私の腹部が捉えた。見ると、私の腹部数センチ前に昭恵夫人の左こぶしが突き付けられている! 昭恵夫人は正拳左突きを放った姿勢のまま「どうだ!」という表情を作って私を見ている!!! 目上のしかも元首相夫人に対してこのように描写するのは失礼なのかもしれないが、その時の昭恵夫人の表情と姿はすごくお茶目でかわいらしかった。
そんな昭恵夫人に対して私は「殺気が籠った攻撃なら気を読んで躱していましたが、今の突きには攻撃的な気がちっとも籠っていなかったので、わざとそのままにしておきました。」と、強がって言うのが精一杯であった。 

 それからも一杯二杯とグラスを空け、私はだんだん酔っ払いモードに入っていった。だから酒席で何を話したかほとんど覚えていない。ただとても楽しかったということだけは、感覚として今でも覚えている。

 ビアバーを出る頃には、すっかり私は出来上がってしまっていた。私の記憶では、ホテルまでは歩いて帰れる距離だと認識していたので、そう皆さんに説明して、来た道を再び歩いて戻ることにした。目貫通りには、酒で火照った体に心地いい夜風が吹いている。昭恵夫人と岩城さんは、将口さんと私の前を歩いていたのだが、酔っ払っている私がだらだら歩くので、その距離は広がる一方であった。

「いやぁ、昭恵夫人ってすっごく素敵な人ですね。すっかりファンになってしまいました。」と横を歩いている将口さんに私は言った。 
「そうでしょう。昭恵夫人と会った人達はみんなそういうんだよ。」と将口さんは教えてくれた。

 自分で言うのもなんだが、私は人を見る目があるつもりである。またそういう『感』みたいなものを研ぎ澄ませて人を見分けることができなければ、外国では生死に関わる事件に巻き込まれることもある。私は幸か不幸か今も生きているが、何回か死線をくぐってきた経験もある。だから人を見分ける目を日々鍛えているし、その能力は確かだと自負している。またこれまで出会ってきた人達の人数も普通の人と比べて尋常でない。それも日本人だけでなく、世界中の市井の人達ともである。
 この心眼で昭恵夫人を観て感じたことは、昭恵夫人は人の気持ちを思いやれる方だということ。人の気持ちを自分の気持ちとして感じることが出来る方だということ。誰にでも気さくで親切で笑顔を絶やさず、冗談も結構お話になるけれど、周りの人一人ひとりに対する目に見えない細やかな気配りや配慮をずっと欠かさない。それは簡単な様ではあるが、一朝一夕にできることではない。それこそ生まれた時から今まで歩んできた道のりによって少しずつ造形されていくものである。また昭恵夫人は、人を元気にする天賦の才を持った方だと感じた。一緒にいるだけで、「よし、なんだか分からないけど、俺もがんばろう!」という気になってしまう。それはなぜかというと昭恵夫人から発せられているオーラというか『清浄な気』の影響を受けているのだろうと思う。巧い比喩が思い浮かばないのだが、昭恵夫人は『さやけき姫君』という感じの方である。

 私は、今の日本を変える為にはもう一度『維新』というクーデターでも起こらない限り、この国は変わらないだろうと昭恵夫人と出会うまでは思っていた。 しかし、昭恵夫人が発しているオーラと同じものが日本を包めば、クーデターという少々手荒な手段でなくても日本は変わるのではないかとふと、思った・・・。


「ところでさぁ、さっきから結構歩いているんだけど、全然ホテルに着かないよ。」
「おかしいっすね、多分もう少しで着くはずなんですけどね・・・。」
そう将口さんに答えたものの、歩けど歩けどホテルが現れる気配はない。

「あっ!すっかり勘違いしてました!私達が泊まっているホテルはあと2キロぐらい先のホテルです!」

 私は酔いも手伝い、ホテルの所在地をすっかり勘違いしていた。私の頭の中では、市内のメインストリートの端から5分くらい歩いたところにあるホテルが今日泊まる予定のホテルだと認識していたのだが、実は勘違いで、私達が泊まるところは、そのホテルからでも、あと2キロぐらいは先にあるホテルであった。

私と将口さんは、前方を歩く昭恵夫人と岩城さんに駆け足で追いついた。

「すみませーん!私の勘違いです。ここから更に2キロぐらいはありまーす!」
「困ったな~、メーホンソーンにはタクシーもトゥクトゥクも夜中は走っていないしね・・・・。」
昭恵夫人達に追いついた私達は息を切らせながら事情を説明した。
メーホンソーン市内は、昼でもタクシーやトゥクトゥクを見かけることは少ない。それが夜中であれば尚のことである。こうなったらヒッチハイクしかない。 そう決めた私は車道に降りて、ちょうど前から来た年代もののトヨタのピックアップトラックを止めた。その車の運転席では、人の良さそうな50代ぐらいのおじさんがハンドルを握っていた。
「すみません、この先のホテルまで私達4人を後ろの荷台に載せていってくれませんか?」そう私が言うとおじさんは快く承諾してくれた。 私はおじさんにその場で100バーツを運賃代わりに受け取ってもらうことにした。おじさんは頑なに受け取るのを拒んだが、私はどうしても受け取って欲しかったのでおじさんの手の平に100バーツ札を無理やり押し込み、ピックアップトラックの荷台に乗り込んだ。

 私達4人を乗せたピックアップトラックが、人影もまばらなメーホンソーンの市街をホテル目指してガタゴト走る。ふと、空を見上げてみた。そこには満天の星空が広がっていた。荷台で感じるメーホンソーンの夜風は、とても気持ちよかった。 


『ラッキーカフェ』にて
『ラッキーカフェにて』






 

 

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