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局長日誌21 メーホンソーン案内記 第5話

 昭和19年7月、インパール作戦の中止命令がついに下される。その後、連合軍の激しい追撃を躱しながら険しいビルマの山岳地帯を後退する大日本帝國陸軍第33軍第56師団「龍兵団」の兵士達は、ビルマの「ケマピュー」まで下がってきた。ケマピューからクンユアムまではあと121キロ。しかしケマピューからの道のりがまた苦難の連続であった。

 タイ入国を目指す兵士達の前にまず立ちふさがったのはサルウィン河の難関である。ケマピューのサルウィン河渡河地点は、乾季の時は河幅200メートル程だが、雨季になると500~1000メートルにまで膨張し、上流からは大木がビュービュー流れてくる濁流と成り、サルウィン河の中国名である”怒江”と呼ばれるに相応しい厳しい様相を現すのである。また、サルウィン河を越えたら今度はタイビルマ国境地帯に連なる2000メートル級の山脈を越えなければタイ国内へは入国できない。健常者であっても死ぬ気で行軍しなければならなかったことは間違いない。またそんな悪路を後退し続ける龍兵団の兵士達に容赦なく雨季のスコールが降りつける。さらに兵士達を襲ってくるのはジャングルの猛獣だったり、この時期発生するマラリアやアメーバー赤痢などのウィルスそして何よりも飢えによる空腹感であった。生きるか死ぬかの死線を何度も何度も彷徨い、命からがら漸くタイ国内に入った兵士達は、タイ・ビルマ国境付近のカレン族の村「ファイタヌン村」を通りそしてクンユアム郡の郊外にある「トーペー寺」にやっとの思いで辿り着く。そしてこの「トーペー寺」にしばらくの間逗留しはじめて静養に努めることができたのであった。 しかし残念なことにここでも多くの兵士達がやはり亡くなっていった。毎日のようにバタバタと亡くなる日本兵士達の鎮魂の為、当時のトーペー寺のご住職は、戦後、お寺の境内の真ん中にパコダを建立した。それは、戦歿者に対するご住職のせめてもの思いであったと云われている。 
 そういう経緯から慧燈財団は平成13年に木製の「追悼之碑」を建立し、関係者は追悼供養の為に毎年この地を訪れている。

 このトーペー寺が今回の旅の中では最後の巡礼地である。ファイポン村の慰霊塔、クンユアム戦争博物館に建立された慰霊碑、ムアイトゥ寺の中に建立された二基の慰霊碑、そしてこのトーペー寺の境内に慧燈財団が建立した「タイ・ビルマ方面戦病歿者追悼之碑」合わせて4ヶ所五基の追悼慰霊碑の前で私達は、志半ばにして遠い異国で斃れた勇士のご冥福を心から祈念した。 特に今回は昭恵夫人が真摯に戦歿者の冥福を祈ってくださったことにより、日本を守るためそしてアジア開放のために戦い散華された各々の霊位の魂魄も完全に慰撫されたことだろうと思う。なぜならば、現界の者によって霊が清められる過程においては、祈念する人の魂の質や大きさそして清浄さに霊は如実に反応するからである。



トーペー寺境内 タイ・ビルマ方面戦病歿者追悼之碑の前にて

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テーマ : タイ・チェンマイ - ジャンル : 海外情報

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