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局長日誌20 メーホンソーン案内記 第4話

 「クンユアム戦争博物館」を後にした私達は、続いて博物館の真向かいにある「ムアイトゥ寺」の境内に歩を進めた。前回説明したように、戦中戦後このお寺は日本軍の野戦病院として開放されていた場所である。このお寺の境内の中にもやはり二基の慰霊碑が建立されている。私達はそれぞれの慰霊碑を掃き清め、献火献香し合掌した。
 「いやぁ・・・全ての慰霊碑ごとに掃除をしているところや戦死した方達のために一生懸命手を合わせていらっしゃる小西さんの姿を見て感動しました・・・。」英霊の冥福を祈り終えて再び車に戻ろうとした時、岩城さんが目を少し潤ませながら私にこう言った。

 多分、死後の世界を信じない人や、絶対的に日本軍は悪であると思い込んでいる人達には理解できない事だと思うのだが、異国で散華された日本兵士に対し同じ日本人である私達が追悼・慰霊を行うということは、外国の人達の心を強く感動させるらしい。 インターネットや通信システムの発達の恩恵を受けて世界の常識を知っているつもりでその実まったく世界の常識どころか人としての常識さえ知らない島国根性丸出しの無知な「進歩的文化人」と称する左翼の連中は、靖國神社はおろか国内外にある日本将兵の戦死者関連施設を前にしても手を合わせることなどしないし、もしそういう事を日本人が行うところを外国人が見たら、日帝軍国主義の復活だと非難されるぐらいにしか思っていないのだろうが、実は世界の常識いや世界の作法として、自国の戦没者に敬意を表すのは極めて常識的であるということを一般の日本人にも理解しておいてほしい。
 自分の国、王様、国旗、国歌そして自国の勇士に敬意を持つことは、外国では物心ついた時からみんなが分かっているごく当たり前のこと。だから彼ら外国人が来日して驚き、日本人を侮蔑するきっかけの第一歩となるのは、日本人が自分の国の国旗を掲げることを躊躇し、国歌を歌うことを憚る姿を見た時なのである。
 いみじくもタイの老僧が慧燈財団の前理事長を通じて「毎年多くの日本人がこのチェンマイに観光に訪れるが、今もこの地に眠っている日本の兵隊に手を合わせるものは一人もおらん・・・。それが日本人か!それが人間か!!!」と日本人に苦言を呈したとおりである。 

 岩城さんの言葉を聞いてふと、そんなことを思い出した。日本のことが大好きで日本人にまで帰化された岩城さんの目に今の日本はどう映っているのだろう。 
 私は、岩城さんの言葉に対し、「日本人として当たり前のことをしているだけですよ。」と答え車に乗り込んだ。そして次の訪問場所である「パーンさん」の自宅へと行くよう運転手に告げた。


 パーンさんの自宅は、「ムアイトゥ寺」から車で5分くらい行った住宅地の中にある。この辺りに昔から住んでいるお年寄りの多くは、大戦中、日本軍兵士達と交流のあった方達であるが、パーンさんもその中の一人である。パーンさんは80代の女性で、戦中戦後パーンさんの家には日本兵士達が宿泊していたため、将兵達との間では身近な交流があった。パーンさんが述懐するところによると、戦中ビルマを目指してこの地を離れていった日本軍の兵士達は皆、精気溢れる男達であったが、ビルマ戦線崩壊後、再びこの地に戻ってきた兵士達は痩せ衰え、着ているものもボロボロでさながら幽霊のようだったという。
 

 突然の訪問にも関わらず私達がパーンさんのご自宅を訪問すると彼女は快く私達を迎えてくれた。そして日本語で「オカケナサイ、オカケナサイ。」と言って家の中に上がって着座するよう勧めてくれた。
 
 当時日本兵士と交流のあった方達のほとんどは何らかの日本語を覚えていて、私達日本人と会うと片言の日本語で話しかけてくる現地の古老も多いのだが、パーンさんは特にたくさんの日本語を覚えている方である。また「オーテーテー ツーナイデー ノーミーチーヲー ユーケーバー・・・」 「ピッチピッチ チャプチャプ ランランラン・・・」など日本の歌の数フレーズを今も口ずさむことができる。「昔は全部覚えていたんだけどねぇ、年をとるごとにすっかり忘れてしまって。」そうちょっと照れたようにはにかみながら言うと「ちょっと待っててね、上着をとってくるから。」と彼女は言って家の奥に入って行った。そしてしばらくすると白いブラウスを羽織りながら再び私達の前にやってきたのだが、なかなかブラウスの袖が腕を通らないらしく、苦労しているようすだった。すると昭恵夫人がスッとパーンさんの横へ行き、さりげなく袖を通すのを手伝った。「ドウイタシマシテ」とパーンさん。「パーンさん、違いますよ、そういう時の日本語は『ありがとう』でしょ。」と私が彼女にタイ語で説明すると「オー、アリガト、アリガト、アリガト!」と思い出した単語を連呼するパーンさんであった。「アハハハ、どういたしまして。」昭恵夫人もこのやりとりを見て思わず吹き出してしまった。 

 パーンさんがブラウスを羽織り終えてから、改めて兵隊さん達と過ごした思い出で一番楽しかったことは何ですかと私が聞くと、このクンユアムに駐屯した兵隊さん達と一緒に畑仕事に行くことだったとパーンさんは言う。それはなにもパーンさんだけではなく村の子供達にとってもワクワクするような楽しいことだったらしい。パーンさんの自宅に泊まっていた日本軍兵士の中で「サカモト」という将兵が一番偉い人だったらしく、その方は他の兵士達から「タイチョー、タイチョー」と呼ばれていたそうだ。また彼は村の子供達の人気者で、彼が行くところには必ずと言っていいほど子供達がついてまわったそうだ。日本の兵士達が村人の畑の手伝いに行く時に「今日、畑に一緒に行く人、手を挙げて!」とタイチョーが子供達に言うとみんなが手を挙げて、田畑までついて行っていたとパーンさんは話してくれた。 

 日本の兵隊さん達と現地の人達がまるで親兄弟のように交流していた姿がまぶたに浮かぶ。

 時間が許す限り、昔の思い出話をパーンさんに私達は聞いた。もっともっと彼女の話を聞きたかったのだが、今日、他に行かなければならない目的地があと2つこのクンユアム郡の中に残っている。後ろ髪を引かれる思いであったが、私達はパーンさんに別れの挨拶をして彼女の自宅を後にした。

 「サヨナラ 、マタキナサイ」と私達を見送るパーンさんは、私達の姿が見えなくなるまでいつまでもいつまでも手を振っていた。


パーンさんと記念撮影

パーンさんと

 
 
 
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テーマ : タイ・チェンマイ - ジャンル : 海外情報

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