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局長日誌25 『メーホンソーン案内記 追記』

 人と人との出会いやご縁というのは本当に不思議なもので、昭恵奥様、将口さん、岩城さんと私というこのメンバーで戦歿者巡礼の地を廻ったとということもきっと何かの思し召しであろうと思う。またメーホンソーンをご案内したことが機縁となって、私が予てから尊敬してやまない安倍晋三先生と下関のご実家でお目にかかれるという栄誉をいただいた。またご自宅では、仏間にご案内していただき、そこに祀られている方々の霊位と向き合わせていただいた。 私は来世までこの栄誉を持って行くつもりである。 機会があれば局長日誌『日本帰国編』としてまとめたいが、まずはダイジェスト版として、短い解説を添えた関連写真を近いうちにアップロードできたらと思っている。

 『メーホンソーン案内記』の後半では、特に昭恵奥様のお人柄について私が率直に感じたことを述べた。 本来ならば将口さんと岩城さんのことももっともっと私なりに描写したかったのだが、そうすると私の筆力では、この『メーホンソーン案内記』は来年までかかっても脱稿することはできないと思うので泣く泣く省略した。魅力的なお二人のことをもっと詳しく書けたらこの『メーホンソーン案内記』にも幅ができたと思う。それにはまず私の文章力を鍛えなければならない。 文章力と言えば将口さんはプロの作家であるが、その将口さんが先月
『チベットからの遺言』という本を上梓された。廃仏毀釈の嵐が吹き荒れる明治期、チベットとチベット仏教を守るために海を渡った日本人僧侶の物語である。オンライン書店アマゾンではすでに5つ星の評価がでている。本のタイトルをクリックしたら関連ページにリンクするようにしているので是非ご覧になっていただきたい。私も近日中に購入して内容を楽しみながら文章の勉強をさせていただくつもりだ。
 
 また『メーホンソーン案内記』ではキーマン的な役割を果たしてもらっている岩城さんであるが、今後も連絡を取り合ってビルマ(現ミャンマー)入国の際にはいろいろとアドバイスをいただきたいと思っている。そしてまたいつの日か私と酒を酌み交わしていただきたい。(ちなみに岩城さんは超酒豪!)それが日本で実現するか、タイで実現するか、ビルマで実現するかは分からないが、兎に角、岩城さんの今後の活動が実り多きものであるよう、心から祈念している。

 そして最後に、昭恵奥様には大変お世話になり、なんとお礼を申し上げたらよいか申し上げる言葉も見つからない。私には、お礼として差し上げられるようなものは何もないが、『メーホンソーン案内記最終話』の最後で詠んだ和歌を昭恵奥様に捧げたい。 
私が、生まれてはじめて女性に贈る歌である。 

 

   
 
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テーマ : タイ・チェンマイ - ジャンル : 海外情報

局長日誌24 メーホンソーン案内記 最終話

 翌日の朝、空港でチェックインの手続きを終えた私達は、場内の待合所で11時05分発チェンマイ行きの飛行機を待っていた。私は前日の酒がまだ残っていていささかグロッキーであったが、相変わらず『武士の臨戦姿勢』を保ったまま空港ロビーの椅子に腰掛けていた。そんな私を見て昭恵夫人がクスクス笑う。
  
 やがて空港内に搭乗案内のアナウンスが流れ、場内の人達が動き始めた。そしてあっという間に長い行列が搭乗口の前にできた。 
「小西さん、よかったら私と席を替わりませんか。せっかくの機会だから昭恵夫人とお二人でお話されたらどうですか。」私の後ろで列に並んでいた岩城さんがそう提案してくれた。岩城さんの座席は、昭恵夫人の隣の席であった。 私は岩城さんのお心遣いに深く感謝し、ありがたくその気持ちをいただいた。

 タラップを昇り飛行機の機内へ入って席へと向う。昭恵夫人は既に着席していた。会釈をして隣の席に座る。しばらくすると機内にシートベルト着用のサインが出た。それからまたしばらくすると飛行機はおもむろに動き出し離陸準備の態勢に入った。やがて滑走路を走り出した飛行機はメーホンソーンを離陸した。
 
 昭恵夫人の隣の席を譲ってもらったものの、私は、何から話したらいいか分からなかった。伝えたいことは山ほどあるはずなのに中々口をついて出てこない。沈黙したままというのもなんなので、私はタイの世間話やタイの政情、今後は日本とタイの間で農作物の取引や人的交流が益々盛んになるであろうということを私の知っている範囲で昭恵夫人に説明することからはじめた。

「小西さんは日本に帰らずにこれからもずっとこちらで活動されるのですか。」私の話を聞いていた昭恵夫人がそう尋ねた。私は昭恵夫人の目をしっかり見て、タイにこれからも留まり活動を続けること、タイで一段落ついたら今度はビルマにも活動の域を広げること、そしてビルマの次はインド、ラオス、カンボジア、ベトナム、インドネシア、フィリピンそして台湾を経由してこの活動を日本へ繋げたいということを話した。
「これはもちろん私一人では成せないことですし、私の代でできるかどうかは分からないけれど、その礎となって死ねたら私は本望です。しかし日本が私のような男でも必要とする時が来れば、その時はいつでも日本に帰ります。」私は一気に胸の中にあったものを昭恵夫人に伝えた。昭恵夫人は目をそらさずに私の話を最後まで真剣に聞いてくれた。
「日本に帰っても私のことを覚えていてくださるなら、安倍先生にどうか伝えてください。タイに安倍先生のことを尊敬しているこういう男がいるということを。」私は昭恵夫人にそうお願いした。

 その後もいろいろと話したが、特に人の縁について話をしていたら昭恵夫人がこう言った。
「東京に住んでいても出会えない人、縁がない人はたくさんいます。たとえマンションの隣同士であってもお互い知らない人というのが今の日本ではざらにあります。それがタイという遠い異国で小西さんと会ったということに不思議な縁を感じます。もしかしたら私達は前世で兄弟だったのかもしれませんね。」私は昭恵夫人にそう言っていただき身に余る光栄だった。飛行機の非常口を開けて飛び降りたくなるくらい嬉しかった。
「いえ、滅相もありません。多分私は前世で昭恵奥様の家来だったんだと思います。」と答えるのが精一杯の私に昭恵夫人は思わず笑った。

 人と人との縁は不思議なものである。昭恵夫人にとって私はおとといまで知らない人。私にとってはメディアの中でしか見たことがない人。そしてこの縁は、昭恵夫人を今回お連れしてきた将口さん、将口さんを私に紹介してくれた長崎放送の熊切さん、慧燈財団の活動を取材していた熊切さんを私に紹介してくれた調前理事長、前理事長が慧燈財団を立ち上げるきっかけとなったタイ・ビルマ方面戦病歿者つまり日本兵士の英霊に辿り着く。

 そんなことをいろいろと考えているうちに30分のフライトも終わり、飛行機はチェンマイへ到着した。この日、皆さんは14:40分発のタイ航空TG111便でバンコクへ向かう予定である。その後、昭恵夫人と岩城さんはビルマを経由して日本へ、将口さんは直接日本へ戻るという。いずれにしても次のフライトまでは少し時間があるので、私達は空港近くのデパートで昼食をとることにした。私達は空港の駐車場に止めていた慧燈財団のピックアップトラックに乗車してデパートへと向かった。昭恵夫人はピックアップトラックの荷台が気に入ったようで、後ろの荷台に乗り込んでいた。道の途中、日本人と思しき人達を見かけたが、きっと彼らは荷台に乗っている女性が昭恵夫人であろうとは思いもしなかっただろう。

 デパートへ到着した私達は、将口さんの提案でタイ風スキヤキの店『MK』で食事を摂ることにした。『MK』レストランはデパートの最上階にある。私達はデパート内の見学がてら、エレベーターを使わずにエスカレーターで4階まで上った。ここでもたくさんの日本人とすれ違ったが、まさか昭恵夫人がこんなところを歩いていると思いもしなかったとみえ、誰も昭恵夫人に気付いた人はいないようだった。
  
 タイスキヤキに舌鼓を打った後、私達は真っ直ぐ空港へと戻った。チェックインカウンターで荷物を預け、搭乗券を発行してもらう。時計の針は既に14時15分をまわっている。私達は喫茶店でお茶を飲む暇もなく、空港2階の出発口へと向かった。
 
 いよいよ別れの時がきた。私は、ここでたくさんのお客さん達をこれまで見送ってきたが、今回は、正直言ってこのまま昭恵夫人についていきたいと思った。昭恵夫人とは、2日間という短い間であったが、たくさんの目に見えない力をいただいた。新たなご縁に感謝しつつ、感慨深い想いを胸に秘め、将口さんそして岩城さんと別れの固い握手を交す。そして最後に昭恵夫人と握手を交し名残を惜しんだ。その直後、ちょっとしたハプニングが起こった。私は手に持っていたカバンを落としそうになりながら、そのハプニングに対してただ呆然と突っ立っているだけであった。

 こちらに向かって手を振りながら、ゲートの向こう側、出発ロビーの雑踏の中に消えていく3人。再会を願い、私も大きく手を振って応えた。

 皆さんを見送った後、私は事務所を目指して車を走らせた。一人になると心にぽっかりと大きな穴が空いていることに気付いた。楽しかった2日間の記憶が甦る。ぼんやりしながらチェンマイの環状線を走っていると前方の空を上昇飛行しているタイ航空の飛行機が私の視界に入ってきた。時間帯から考えると昭恵夫人達が乗っているTG111便に間違いない!私はブレーキを踏み込みその場に車を停車した。この日、チェンマイの空は高積雲が多く立ちこもっていた。飛行機はその雲に向かってぐんぐん上昇を続けている。私は車から下車して道路に降り立った。そして飛行機が飛んでいる方向を向いて手を合わせ、その後の旅が無事であるよう祈念した。機体はやがて雲の中に飲み込まれて見えなくなった。




昭恵夫人をチェンマイ空港で見送るときに詠める歌 二首

 旅立ちて   御姿ここに あらずとも  清けき君の  かほる残り香
たびだちて みすがたここに あらずとも さやけききみの かほるのこりが


 敷島の   大和の国に  戻るとも  シャムの武士  忘るな君を
しきしまの やまとのくにに もどるとも シャムのもののふ わするなきみを


 


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局長日誌23 メーホンソーン案内記 第7話

 車窓の外には、山、田んぼ、バナナの木、高床式の住居、この4つの要素だけで構成される景色が、帰りの道でもやはりだらだらと続く。来た道と同じ退屈な景色である。日はすっかり西に傾いて「山は向背を成す斜陽の裏」の風情あり。 強行軍的な日程とカーブに揺られるワゴン車の相乗効果からだろうか。将口さんと岩城さんは車中で一眠りされている。昭恵夫人はといえば、外の景色を見ながら何か考え事をされているようである。3次元的な事象という観点から言えば、今回行く時に通った道の景色も帰り道の景色も同じである。しかし、戦中戦後ここで実際にあった多くの出来事を今日知った昭恵夫人の心の目には、まったく違った景色に見えているのかもしれない。 

 帰りの道はほとんど下り坂だったので、行く時よりも時間がかからなかった。とは言っても1時間以上はかかるので、ホテルに着いた時には日も暮れて、ちょうど夜の帳が下りようとしている頃だった。 チェックインを済ませた私達は一旦それぞれの部屋で少し休んでから、ロビーに集まり、ホテルの送迎車で夜のメーホンソーン市内へ繰り出した。 

 市内のメインストリートで車を降りた私達は、ぶらぶらと歩きながら今夜のレストランを探すことにした。メインストリートには、60ワットの裸電球をぶら下げたタイ料理の屋台や山岳民族の民族服や手工芸品を売る出店が所々に並んでいる。メインストリートとはいうものの、端から端まで歩いてせいぜい30分もかからないこじんまりとした目貫通りである。
その目貫通りを真っ直ぐ終わりまで行くと、メーホンソーンにしては珍しい信号機付きの十字路の交差点にさしかかる。その交差点を左に入って20歩ほど行ったところの右手にある『ラッキーカフェ』というレストランに私は皆さんを案内した。
このレストランはほどほどに観光客向け、ほどほどに地元の人向けという感じのレストランである。

 「おつかれさまでした!」タイの地ビール『シンハー』でまずは乾杯する。メーホンソーンを流れる『パイ川』で採れる川魚を酒肴にして、私達は旅の労を互いにねぎらった。 食事中は、今日の出来事や世間話などで話題が尽きない。一杯二杯とシンハービールが入ったグラスを空けるとともに私も漸く緊張の糸が解けてリラックスしてきた。 ちょっとだけ饒舌になった私は、慧燈財団の活動や慧燈財団を創立した調前理事長のこと、前理事長の自坊『因通寺』に戦後開設された戦争罹災孤児養護施設『洗心寮』を昭和の天皇陛下が行幸され時のことそして『百万人針の大幟』のことを話した。それがきっかけとなり、この日から数えて約2ヵ月後、私は三人を因通寺にご案内することになる。

 ラッキーカフェで食事を終えた私達は、交差点の角にあるビアバーに店を移すことにした。空腹感はさっきの店で満たされたが、もう一つ飲み足りない。 私はいい店があるからと言って皆さんをそのビアバーに誘った。 既にラッキーカフェでほろ酔い加減になっていた私は、それを悟られまいと背をビアバー内の角に建っている柱に向けて椅子に浅く腰掛け、背筋をやや伸ばして顎を引き、両手は二こぶし分開いた膝の上に軽くのせた姿勢―私としては武士の臨戦態勢のつもり―で皆さんと話を続けた。

「小西さんっていつもそういう風にビシッとされているんですか?車中でもずっと背筋を伸ばしてビシッとされていましたし。」 テーブルを挟んで私の右向かいの椅子に座っていた昭恵夫人が私の姿勢を見てそう言った。
「ええ、いつ何が起きても対応できるように、そして常々隙を作らないようにと普段から心がけております。実は、私は日本の武道が好きで剣術、居合道、柔術、合気道などを昔修行しました。」
「実は私、なぎなたを習っているんです。」
「そうなんですか、私も武道を愛する者の一人としてなぎなたには興味があります。」

「ほら~、タイに来る前に小西さんのことを説明しておいたとおりでしょ。小西さんはいつもこうビシッとしていて隙がないんだよ。ちゃんとしておかないとぶった斬られちゃうんだから。」 昭恵夫人の真向かいに座っていた将口さんが冗談交じりに言った。 
「ちょっと~将口さん、私のことを一体どんな風に説明されたんですか?」 私の人物像が皆さんにどう説明されているのか興味があったので、テーブルを挟んで私の左前に座っている将口さんの方に顔を向けて説明を求めた。その時である。すっと微かに動く空気の振動を私の腹部が捉えた。見ると、私の腹部数センチ前に昭恵夫人の左こぶしが突き付けられている! 昭恵夫人は正拳左突きを放った姿勢のまま「どうだ!」という表情を作って私を見ている!!! 目上のしかも元首相夫人に対してこのように描写するのは失礼なのかもしれないが、その時の昭恵夫人の表情と姿はすごくお茶目でかわいらしかった。
そんな昭恵夫人に対して私は「殺気が籠った攻撃なら気を読んで躱していましたが、今の突きには攻撃的な気がちっとも籠っていなかったので、わざとそのままにしておきました。」と、強がって言うのが精一杯であった。 

 それからも一杯二杯とグラスを空け、私はだんだん酔っ払いモードに入っていった。だから酒席で何を話したかほとんど覚えていない。ただとても楽しかったということだけは、感覚として今でも覚えている。

 ビアバーを出る頃には、すっかり私は出来上がってしまっていた。私の記憶では、ホテルまでは歩いて帰れる距離だと認識していたので、そう皆さんに説明して、来た道を再び歩いて戻ることにした。目貫通りには、酒で火照った体に心地いい夜風が吹いている。昭恵夫人と岩城さんは、将口さんと私の前を歩いていたのだが、酔っ払っている私がだらだら歩くので、その距離は広がる一方であった。

「いやぁ、昭恵夫人ってすっごく素敵な人ですね。すっかりファンになってしまいました。」と横を歩いている将口さんに私は言った。 
「そうでしょう。昭恵夫人と会った人達はみんなそういうんだよ。」と将口さんは教えてくれた。

 自分で言うのもなんだが、私は人を見る目があるつもりである。またそういう『感』みたいなものを研ぎ澄ませて人を見分けることができなければ、外国では生死に関わる事件に巻き込まれることもある。私は幸か不幸か今も生きているが、何回か死線をくぐってきた経験もある。だから人を見分ける目を日々鍛えているし、その能力は確かだと自負している。またこれまで出会ってきた人達の人数も普通の人と比べて尋常でない。それも日本人だけでなく、世界中の市井の人達ともである。
 この心眼で昭恵夫人を観て感じたことは、昭恵夫人は人の気持ちを思いやれる方だということ。人の気持ちを自分の気持ちとして感じることが出来る方だということ。誰にでも気さくで親切で笑顔を絶やさず、冗談も結構お話になるけれど、周りの人一人ひとりに対する目に見えない細やかな気配りや配慮をずっと欠かさない。それは簡単な様ではあるが、一朝一夕にできることではない。それこそ生まれた時から今まで歩んできた道のりによって少しずつ造形されていくものである。また昭恵夫人は、人を元気にする天賦の才を持った方だと感じた。一緒にいるだけで、「よし、なんだか分からないけど、俺もがんばろう!」という気になってしまう。それはなぜかというと昭恵夫人から発せられているオーラというか『清浄な気』の影響を受けているのだろうと思う。巧い比喩が思い浮かばないのだが、昭恵夫人は『さやけき姫君』という感じの方である。

 私は、今の日本を変える為にはもう一度『維新』というクーデターでも起こらない限り、この国は変わらないだろうと昭恵夫人と出会うまでは思っていた。 しかし、昭恵夫人が発しているオーラと同じものが日本を包めば、クーデターという少々手荒な手段でなくても日本は変わるのではないかとふと、思った・・・。


「ところでさぁ、さっきから結構歩いているんだけど、全然ホテルに着かないよ。」
「おかしいっすね、多分もう少しで着くはずなんですけどね・・・。」
そう将口さんに答えたものの、歩けど歩けどホテルが現れる気配はない。

「あっ!すっかり勘違いしてました!私達が泊まっているホテルはあと2キロぐらい先のホテルです!」

 私は酔いも手伝い、ホテルの所在地をすっかり勘違いしていた。私の頭の中では、市内のメインストリートの端から5分くらい歩いたところにあるホテルが今日泊まる予定のホテルだと認識していたのだが、実は勘違いで、私達が泊まるところは、そのホテルからでも、あと2キロぐらいは先にあるホテルであった。

私と将口さんは、前方を歩く昭恵夫人と岩城さんに駆け足で追いついた。

「すみませーん!私の勘違いです。ここから更に2キロぐらいはありまーす!」
「困ったな~、メーホンソーンにはタクシーもトゥクトゥクも夜中は走っていないしね・・・・。」
昭恵夫人達に追いついた私達は息を切らせながら事情を説明した。
メーホンソーン市内は、昼でもタクシーやトゥクトゥクを見かけることは少ない。それが夜中であれば尚のことである。こうなったらヒッチハイクしかない。 そう決めた私は車道に降りて、ちょうど前から来た年代もののトヨタのピックアップトラックを止めた。その車の運転席では、人の良さそうな50代ぐらいのおじさんがハンドルを握っていた。
「すみません、この先のホテルまで私達4人を後ろの荷台に載せていってくれませんか?」そう私が言うとおじさんは快く承諾してくれた。 私はおじさんにその場で100バーツを運賃代わりに受け取ってもらうことにした。おじさんは頑なに受け取るのを拒んだが、私はどうしても受け取って欲しかったのでおじさんの手の平に100バーツ札を無理やり押し込み、ピックアップトラックの荷台に乗り込んだ。

 私達4人を乗せたピックアップトラックが、人影もまばらなメーホンソーンの市街をホテル目指してガタゴト走る。ふと、空を見上げてみた。そこには満天の星空が広がっていた。荷台で感じるメーホンソーンの夜風は、とても気持ちよかった。 


『ラッキーカフェ』にて
『ラッキーカフェにて』






 

 

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