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国王陛下は喜んで安倍首相の謁見をお受けになられた

 
 1月17日にタイのプミポン国王が安倍首相ご夫妻の謁見をお受けに成られた模様を報道したタイのニュースを日本語に訳してみました(^_-)-☆

 浅学菲才なものですから、皇室や王室に対して使う言葉遣いが正しくないかもしれませんが、意味は通じると思います。あと翻訳の難しさなのですが、原文をダイレクトに直訳すると意味不明になるので、分かりやすいように意訳しなければなりません。いかに原文に近づけて意訳するかは翻訳者の力量が問われるところなのですが、捏造はしておりませんので、その辺はどうぞご安心してご覧ください(*^-^*)





 国王陛下は喜んで安倍首相の謁見をお受けになられた(動画のタイトル)

 こんばんは。この時間は7チャンネルからタイ宮内庁発表の王室ニュースをお伝えします。

 国王陛下は、タイを公式訪問中の安倍晋三首相の謁見をお受けになりました。本日(平25年1月17日)17:15分 国王陛下は、シリラート病院チャラームプラキアット病棟14階ガラヤニーワッタナー内親王会議室に御出であそばされ、インラック首相そして1月17日から18日までタイを公式訪問している日本国総理大臣 安倍晋三首相と安倍昭恵夫人そして付き添いの一行の謁見をお受けになりました。またこの謁見の席では在京タイ大使館のタナティップ ウパティシン大使とシントーン ラープピセーパン公使がタイ語・日本語の通訳を務めました。

 今回の謁見の席で安倍首相は日本の皇室からの親書を読み上げ、両国間の良好な関係とその重要性そして大震災発生後の日本国民に対するタイ国民からの援助に関して皇室が御礼を表明されていることを国王陛下に伝えました。これに対し国王陛下は、ハイテク技術の進化と日本国民が一致団結して今回の震災やその他の問題に立ち向かっていこうとしていることを賞賛になり、日本がハイテク技術を使い、また心を一つにして大震災そして経済問題などその他の問題から回復することを願うと応じられました。そして日本国民が今回の問題に立ち向かう姿は、問題を抱えるその他の国々のよいお手本となることであろうと述べ賜りました。

 また、国王陛下は、王室と皇室そして両国民の近くて良好な関係について大いに喜ばれており、そのことは、既に良好であるタイと日本の両国間の関係をさらに発展させ強固なものにすることであろうと述べ賜りました。


翻訳:タイ国チェンマイ県在住邦人 小西 誠


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テーマ : 安倍晋三 - ジャンル : 政治・経済

安倍元首相ご夫妻に関する記事を再掲載します。

 
 慧燈財団を退職後、思うところあってブログを自主閉鎖しておりましたが、私が心より尊敬する安倍元首相ご夫婦に対して一部マスコミの捏造記事をともなう悪質なパッシングが自民党総裁ご就任後に始まったようですので、このブログで以前掲載していたお二人に関する記事を再掲載致します。当ブログのトップページの右側にあるカテゴリーより入って記事をご覧ください。お二人ともマスコミが書いているような人ではなく、本当にとても誠実に日本のことを考えて下さっている素晴らしいお方です。



テーマ : 安倍晋三 - ジャンル : 政治・経済

ファイコン村学校に行ってきました。

 
 先月の27日から29日までチェンマイ県オムコイ郡ファイコン村へ行っておりました。
昨年12月に安倍晋三先生 遠藤利明先生 山谷えり子先生が、自民党の有志議員で結成された「アジアの子供たちに学校をつくる議員の会」を代表されて、アジアで9校目となる小学校校舎の贈呈「アジア教育友好協会(AEFA)」を通じ、ファイコン村で行われました。
 先生方からファイコン村の様子をうかがって、是非一度行ってみたいと思い、関係者の方々に相談したところ、6月27日から「アジア教育友好協会(AEFA)」の谷川理事長が現地視察にいらっしゃるのでその時に一緒に行ったらどうかとのありがたいお言葉をいただき、今回のファイコン村学校訪問と相成りました。

 チェンマイ市内から車で約5時間のところにあるファイコン村。オムコイ郡の中心までは道路も舗装されているのですが、ここからファイコン村までは、未舗装の山道に4駆の車体を思いっきり揺られながらの行軍です。
山道の途中では、車一台が通れるのがやっとの道もあり、またその道の下は断崖絶壁の谷底というところもありました。ガードレールなどはもちろんありませんので、一歩間違えたら谷底へまっ逆さまです。こんなところまでよく安倍先生達はいらっしゃったなーと先生方に改めて感服した次第です。

 ファイコン村学校へ着くと、子供達から歓迎を受けました。山谷えり子先生がご自身のブログで、悪路の山道を走る車に長時間揺られて着いた頃にはフラフラになりましたが、子供達の笑顔を見て、そんな疲れが一気に吹っ飛んだとおっしゃっているように、本当にかわいい純粋な子供達からの歓迎を受けました。

 このファイコン村学校には現在379名の生徒(全員が山岳民族のカレン族)が在籍しているのですが、ファイコン村から通っている86名の生徒以外は、全員さらに遠くの村から来て学校の敷地内の粗末な宿舎に寝泊りしている寮生です。

 遠くの村には正規の学校がなく、あったとしても僻地なので、先生も1週間来て次の10日間は来ないといった日本では考えられらない劣悪な教育環境です。このファイコン村学校に行けば、月曜日から金曜日まできちんと勉強できるし、寮もあるし、とりあえず食事にもありつけるということで、ファイコン村から遠く離れた7つの村(その内の一つは、隣県ターク県の村)から大勢の子供達が来ています。

 「アジアの子供たちに学校をつくる議員の会」のご活動は、ほとんどの日本の人達に知られていないと思いますが、こうした活動を通して、日本の子供達とアジアの子供達の将来のために地道にがんばってくださっている方達がいるということをもっと日本の皆さんに知っていただけたらなあと思います。


ファイコン村へ続く山道
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ちょっとハンドル操作を間違えれば谷底へまっ逆さま。
安倍先生・遠藤先生・山谷先生は、4駆の車の中で激しく揺られながら、小学校贈呈のため、チェンマイ市内から約5時間も離れたところにあるファイコン村を目指した。
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カレン族の集落。ファイコン村学校の生徒は全員がカレン族である。
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ファイコン村学校は山岳部のちょうど馬の背の上のような所にあるので、270度の視界に美しい山岳地帯の景色が広がっている。
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学校に到着した私たちを寮生達が迎えてくれた。
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これが寮。この中に約40人の生徒が寝泊りしている。
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寮の中
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昨年の贈呈式の折、寮生の毛布やマットが不足していることを現地で知った安倍先生達から贈られた毛布類を寮生達は大事に使っている。
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2段ベッドの老朽化がひどい男子寮
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食事中の風景 
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昨年12月に「アジアの子供たちに学校をつくる議員の会」から贈られた校舎。
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日本タイ友好校舎とタイ語で書かれている。
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日タイ友好校舎で勉強する生徒達
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「アジアの子供たちに学校をつくる議員の会」の皆様 敬称略

 会長 安倍晋三 代表 遠藤利明 

 秋元司 石田真敏 今井宏 岩城光英 岡田直樹 奥野信亮 亀岡偉民 
 鴨下一郎 川口順子 岸信夫 北村誠吾 桜井郁三 佐藤勉 山東昭子 
 塩崎恭久 清水清一郎 下村博文 管義偉 菅原一秀 関口昌一 

 世耕弘成  田中和徳 谷公一 田村憲久 中川義雄 中森ふくよ 

 中山恭子 西田昌司  西村康稔 野上浩太郎 馳浩  林幹夫 

 原田令嗣 平沢勝栄 藤井勇治  宮腰光寛 茂木敏充 山口泰明 

 山谷えり子 義家弘介 渡辺博道


  日本の子供達の為、アジアの子供達の為に国民の見えないところでがんばってくださっている上記議員さん達を応援しましょう!!!


テーマ : 自民党 - ジャンル : 政治・経済

「タイ・ビルマ方面戦病歿者追悼之碑」案内記            -美しい国からの貴賓をご案内して・・・-

 今月初旬、安倍元総理のご夫人 昭恵奥様からメールをいただき、安倍先生と先生に近い議員の方達が12月14日から数日間チェンマイをご訪問されることを知った。今回のチェンマイご訪問では、安倍先生が会長をお務めになっている「アジアの子供達に学校を建設する議員の会」がチェンマイ県オムコイ郡ファイコン村というチェンマイ市内から車で片道4時間もかかる山奥の村に寄贈した学校の贈呈式にご参加されることが主な目的であるということが昭恵奥様のメールには書かれていた。

 昭恵奥様からいただいた特別なお計らいのお陰で、私は安倍先生に2度お目にかかったことがある。初めてお会いしたのは下関のご自宅で、2回目は永田町の議員会館にある先生の事務所でお会いした。下関でお会いした時は、元総理大臣と初対面ということで緊張し、自己紹介するのが精一杯だった。2回目にお会いした時は、日本の国益に関わることで、どうしても先生にお伝えしたかったことがあり、緊張していたがたどたどしいながらも伝えるべきことは全て伝えることが出来た。また祖国日本に対する私の熱い想いもそれと同時に伝えることが出来たと自分では思っている。

 昭恵奥様にお返しするメールに、是非先生を「タイ・ビルマ方面戦病歿者追悼之碑」にご案内したいということを書いて送ったところ、チェンマイに着いたら連絡を取りたいと先生がおっしゃっられたとのお返事が奥様の方からあり、ご宿泊されるホテルの名前と先生の携帯の電話番号とメールアドレスが添えられていた。私は先生方がチェンマイにご到着される当日は皆様を空港にお出迎えに行く旨をメールに書いて奥様に再度返信のメールを送った。

 12月14日、先生方ご一行をお出迎えにチェンマイ国際空港へ私は行った。在チェンマイ日本国総領事館の方達が先生方を空港でお出迎えすることを知っていたので、事前に総領事館の方に事情を話したところ、総領事さんや領事の方々と一緒にVIPルームで先生をお迎えしたらどうかとのありがたいご配慮をいただいた。

 先生方がご搭乗の飛行機はタイ航空のTG116便で、18:25分ちょうどに到着した。
VIPルームでしばらく待っていると先生方ご一行が部屋に入ってきた。
「ちょっと待っててね。今荷物を運び出しているから。」と私にお気づきになった先生はそう言うと一旦部屋を出て行かれた。そして他の方達と再度入室されると「こちらは小西さん。彼は愛国者だから。」と先生に続いて一緒に部屋に入ってこられたご一行に私をご紹介してくださった。その中のお二人の洋服には議員バッチが留められている。国会議員の先生方だ。
 安倍先生のような真の保守政治家の方から国会議員の先生方に愛国者とご紹介していただいたことは、身に余る名誉なことである。このことはタイ小西家始祖の伝説となって私の子々孫々に代々語り継がれていくことになるだろう。

 安倍先生がこう自己紹介してくださったので、ちょっと嬉し恥ずかしく照れ笑いを私は浮かべたが、気を引き締めなおして、お二人の先生方に改めてご挨拶をして名刺を交換した。
 代議士の御一人は遠藤利明先生。元文部科学省副大臣で現在は自民党の財務委員長をお務めになられている。もうおひとかたは山谷えり子先生。元首相補佐官で参議院の代議士さんだ。実は山谷先生のことは今年東京でお会いした「新しい教科書をつくる会」の方達から聞いていた。山谷先生は、慧燈財団の前理事長の著書「天皇さまが泣いてござった」をお読みになってご感動され、ご自身のウェブサイトにこの本のことを紹介する記事を掲載してくださったということを「新しい歴史教科書をつくる会」の方達から伺っていた。私がそのことを話すと山谷先生はこの偶然に驚かれそしてお喜びになられているご様子であった。

 そうこうしている内に荷物がバッケージクレームから出てきたとの知らせが入り、一同部屋を後にした。この日もいろいろと後から予定が詰まっているようだったので、慌ただしい中、皆さんとは空港でお別れした。
 空港から自宅に戻り、ふと、大事なことを先生に伝えるのを忘れたことに気がついた。「タイ・ビルマ方面戦病歿者追悼之碑」に先生方をご案内するということについてである。先生方のご予定では、翌日は片道4時間かけて学校の贈呈式に行かれるのでホテルにご到着するのは午後9時くらいとのことであった。また16日は午後から予定が入っている。17日はチェンマイをご出発される日だ。さてどうしたものか。明日は先生方とお会いできないだろうし・・・。いろいろとあれこれ思案したが、私は決心した。安倍先生の携帯のメールに直訴するしかない!
 私より若い人達はどう思うか分からない。また私と同じ年代の人でも私と同じように感じるかどうか分からないが、安倍先生のような方に私ごときが直接メールや電話を差し上げるのは無礼なことなのではないだろうかと私はその時自問自答した。江戸時代であれば、殿様に直訴するのは、打ち首ものである。だが、たとえ打ち首にされたとしても(安倍先生はとてもお優しい方なのでそういうことはしないと思いますが)私は安倍先生に追悼之碑を参拝してほしかった。元日本国総理大臣であり、また心から日本を愛している安倍晋三先生がお参りをしてくれたら、日本を守る為にたった一つしかない命を賭して戦い、今は「タイ・ビルマ方面戦病歿者追悼之碑」の下に眠っている1万8千の英霊の御霊は必ずや昇天または成仏すると私は信じているからである。
 私は安倍先生の携帯電話に送るメールに私のありったけの思いを綴った。そして送信ボタンを押し、その日は床に着いた。

 翌日の朝、メールをチェックすると、なんと安倍先生からの返信がメールボックスに入っているではないか!明け方に送信されたそのメールには、16日の午前中に案内をお願いしますと先生から丁重なお返事が書かれていた。私はメールを読み終えると歓喜に震えるのを禁じえなかった。その日は皆様にお配りする、追悼之碑に関する資料を揃えたり、その敷地内に追悼之碑が建立されている学校の関係者と連絡を取り合ったりして、16日の段取りを整えることに奔走した。

 いよいよ16日の朝が来た。先生がお泊りになられているホテルの駐車場に着くと、顔見知りのタイ人ガイドNさんがいた。Nさんは昨日先生方をチェンマイ県の南西の果てにあるオムコイ郡にご案内したそうだ。Nさんによると、前日の道中はかなり大変だったらしい。オムコイ群のファイコン村まではチェンマイから車で片道4時間以上かかる。ファイコン村はタイ山岳民族であるカレン族の村だ。途中までは道路は舗装されているが、ある地点から凸凹の激しい山道を通らなければならない。ご一行は4WD車で行ったそうなのだが、それでも激しく車は揺れ、頭や体を車の屋根にぶつけんばかりの悪路だったという。またちょっとハンドルを切りそこなえば、一気に何10メートルの崖下に墜落という、雨季であれば確実に辿り着けなかったであろうファイコン村に着く頃には皆さんフラフラの状態だったという。それでも山の頂上にあるその新しい校舎で皆さんを待っていた子供達の笑顔にそんな疲れも一気に吹き飛んだと後日先生方はおっしゃっていた。

 ここで「アジアの子供達に学校を建設する議員の会」について少々ご紹介したい。
この会は今回チェンマイにお越しになられた遠藤利明先生が、1997年の秋に自民党の若手国会議員に働きかけて設立された会で、国会議員となる以前からずっとお考えだったというアジアへの支援、特に「教育の機会に恵まれないアジアの子供たちへの援助」を実現するために、不足している「学校」を寄贈する運動を始められたとのことである。当初43名の国会議員が賛同し、月に1万円という会費を積み立て、ついに1998年12月にカンボジアのダムコー地区に記念すべき第1校目となる小学校を贈呈。日本とその地区の人々が今後仲良くなれるようにとの思いを込め、「ダムコー地区ともだち小学校」とその小学校は名付けられた。2005年からは安倍先生が会長に就任し、遠藤先生は会長代行・代表として運営に携わっていらっしゃる。最初は43名の国会議員から始まったこの会であるが、現在では64名の自民党の議員さんがこの会に名を連ねている。
 今回チェンマイ県オムコイ郡ファイコン村に寄贈された学校は「アジアの子供たちに学校を建設する議員の会」がアジア各地に建てた第9校目の学校である。また来年末には再びカンボジアに10校目を建設する予定で、それを機に、これまでに造った学校の子供たちによる「ともだち小学校子供サミット」を開催することを計画されている。

 タイ人ガイドのNさんと立ち話していると、今回日本から先生方ご一行に付き添ってきたツアー会社の添乗員の方がホテルから出てきた。私は挨拶をして今日これから行く所についてひとまず簡単に説明申し上げた。その方は、今回安倍先生達が追悼之碑にお参りに行くのをお決めになられたことを思想とか歴史感とかそういうのを抜きにしても一日本人として嬉しく思いますと私に話してくれた。

 ホテルのロビーからご一行のものと思しき足音が聞こえてきた。安倍先生が先頭でホテルから出てこられた。先生方は皆正装を着用されている。安倍先生が私に気付いた。すると先生は「ヨウ!」と言いながら挙手をして私に微笑んでくれた。朝日がホテルの屋根越しに安倍先生に降り注ぐ。朝日に照らされて光る先生のお姿はとてもカッコよかった。
 安倍先生に続いてロビーからおいでになった山谷先生が前日の贈呈式のことを私に話してくださった。安倍先生は贈呈式のご挨拶の中で「先の大戦中、多くの日本兵士がタイ人やタイ山岳民族の人達からとても親切に助けてもらったことを心から感謝しています。この事を日本はずっと忘れません。」とおっしゃられたという。山谷先生はそれを聞いてとても感動したと私に熱く語ってくださった。私もその話を聞いて胸に込み上げてくるものがあった。先の大戦中、タイ人やタイ山岳民族の人達は、傷ついた日本兵を無償で助けてくれた。食料や寝床を与えたり、薬を分け与えてくれた。また亡くなった兵士の遺体を親切に埋葬までしてくれたこともある。彼らの子孫である子供達に日本国総理大臣であらせられた安倍先生が、まさにその舞台となったタイの僻地で直接語られたのである。これがどれだけすごいことなのかは推して計るべきであろう。

 今日は2台の車で、ホテルから約1時間のところにある「タイ・ビルマ方面戦病歿者追悼之碑」を目指す。私は安倍先生と遠藤先生がご乗車される車に同乗した。前日、ハードな一日をお過ごしになられたにも関わらず、道中先生方はとても活力に満ちていた。車中では前日の話で盛り上がった。安倍先生が昨日の山道の悪路のことを「まるで映画“地獄の黙示録”に出てくるような凄いジャングルだったね。」と冗談を言うと車内はどっと沸いた。
またタイの一般の人達の生活や社会についてお二人は熱心にお尋ねになられた。私は私の視線で観ているタイをそのまま先生方にお伝えした。
 
 そうこうしている内に車は追悼之碑が建立されているチェンマイ県メーワン郡バーンガートウィタヤーコム中高校に到着した。学校には予め今日のことは連絡しておいたので、校長先生や教員関係者そしてこの学校で日本語を学ぶ日本語学科の学生達が駐車場で待っていた。車から降りると、私は先生方に校長先生や関係者を紹介した。そして駐車場から追悼之碑まで先生方をご案内した。
 
 あの安倍元総理が追悼之碑に続くこの道を歩かれている!
安倍先生にはいつかこの追悼之碑にお越しになっていただきたいと思っていたが、まさか本当に実現するなんて!!!

 追悼之碑の前に着くと私はご一行の前に出て、この「タイ・ビルマ方面戦病歿者追悼之碑」が建立された経緯について説明した。安倍先生は目を閉じて私の説明を聞いてくださっている。先生方の前で説明しながら、私の胸の中には慧燈財団と関わるようになってから起きた様々な出来事が去来した。この追悼之碑や前理事長との出会い、この活動を通してご縁を結んだ沢山の人々のこと、当時を知る現地の古老達が語る心温まる日本の兵隊さん達との思い出話、ぼろぼろの状態で土から出てきた日本将兵のご遺骨・・・。私は感慨深いものを感じずにはいられなかった。

 一通り説明を終えてから、私は用意していた線香をご一行にあげていただくことにした。私は、今年下関に行った時に功山寺で買ったお線香をここに来る度に献じてきたのだが、ちょうどあと3本でその線香は無くなるところだった。下関は安倍先生のお膝下である。また功山寺は幕末高杉晋作が奇兵隊を挙兵した場所である。
「先生、功山寺のお線香です。今年下関に行った折に功山寺で買ったものです。あと残り3本です。先生どうかこの線香を英霊に献じてください。」私はそう言って安倍先生にその3本のお線香を献上した。安倍先生はそれを山谷先生と遠藤先生と一本づつお分けになり、追悼之碑の下に眠る英霊に献じそして篤い祈りを捧げてくださった。

 お参りが終わった後、学校が用意してくれていた軽食とコーヒーを先生方にお勧めした。日本語学科の学生達が興味津々の眼差しで先生方を見ている。それをご一行は察して、まず遠藤先生が学生達に日本語で声をかけた。はにかみながらたどたどしい日本語で答える学生達。安倍先生も山谷先生も学生達にそれぞれお声をかけられている。
「皆さんは将来何になりたいですか。」と先生方が尋ねると
「ニホンゴノガイド・・・」と1人は答え、また他の学生は「ニホンゴノセンセイ・・・」と照れ笑いしながら答えた。
「日本語の歌、歌える?」遠藤先生がそう学生にお尋ねになると、“昴”や“上を向いて歩こう”を学生達は歌いだした。先生方も学生と一緒になって歌を歌った。先生方が学生達を見つめる目はとても優しかった。この場所がなんとも言えない温かい雰囲気に包まれる。先生方と学生の波動が一体化し、この場所は温かい空気で一杯になった。

 追悼之碑の前で記念撮影をした後、今度はご一行を大梵鐘が安置されている鐘楼へご案内した。この大梵鐘がここに安置されることになった経緯や、元遺族会の会長だった橋本龍太郎元首相からご揮毫いただいた「安らかに」の文字が鋳込まれていることを申し上げた。先生方は三人でご一緒に撞木から下がっている綱を引かれ、勢いよく梵鐘を撞いてくださった。この時の鐘の音は、きっとタイ・ビルマの山奥で今も草生す屍となって静かに眠っている英霊の御霊に届いたことだろう。

 「今回ここに来て、父が言っていたことがやっと分かりました。」と山谷先生は嬉しそうにおっしゃった。先生のお父上様は、戦中南方方面へ出征された時に現地の人から親切にしてもらった話や現地の人達と一緒に犬をかわいがった話をよく先生にお話になられていたそうだ。
「チェンマイに来て、ここを訪れずに日本に帰っていたら、英霊に対して本当に申し訳ないと後で後悔することになっていただろう。今回ここを案内してくれて本当にありがとう。」と遠藤先生。
 昭恵奥様から後日いただいたメールには、安倍先生がこの追悼之碑をご訪問出来たことや日本語学科の学生達と話をすることが出来たことをとても喜んでくださっていたご様子が書かれていた。

 青春や夢や大志を投げ捨てて、また家族と別れてまでただ一心国家の為にたった一つしかない命を捧げてくれた英霊達が守りたかったもの・・・。それは「美しい国」日本である。
その「美しい国」を再生させるために日々ご尽力されている日本国元総理大臣安倍晋三先生が、同じく日本を心から愛している山谷先生と遠藤先生と一緒にこの「タイ・ビルマ方面戦病歿者追悼之碑」にお参りくださったことを、泉下の英霊達もさぞかし喜んでいることだろう。






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安倍晋三先生、山谷えり子先生、遠藤利明先生が「タイ・ビルマ方面戦病歿者追悼之碑」にご来臨されました。

 12月16日 日本国第90代首相 安倍晋三先生と元首相補佐官 山谷えり子先生そして元文部科学省副大臣 遠藤利明先生のお三方が「タイ・ビルマ方面戦病歿者追悼之碑」をご参拝されました。

 百聞は一見に如かず。まずは写真でその時の様子をご覧ください。

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「タイ・ビルマ方面戦病歿者追悼之碑」が建立された経緯について皆様に説明申し上げているところです。
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目を閉じて私の説明をお聞きになられる安倍先生。
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バーガートウィタヤーコム中高校の日本語学科の学生達も追悼之碑に集まりました。
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朝日に輝く「タイ・ビルマ方面戦病歿者追悼之碑」
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追悼之碑の下に現存する井戸をご覧になられる安倍先生。先の大戦中、この井戸の中に日本の兵隊さんのご遺体が多数埋葬されました。
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お参りが終わった後、バーンガートウィタヤーコム中高校の関係者と談笑される安倍先生。
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日本語学科の学生達と談笑される先生方
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現地の学生達とご交流なされる先生方の眼差しは皆様とても優しかったです!
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バーンガートウィタヤーコム中高校日本語学科の先生から、学校内における日本語教育事情の説明をお受けになる安倍先生。
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追悼之碑の前で記念撮影。写真右端は、バーンガートウィタヤーコム中高校初代校長 現慧燈財団副理事長 セリー スワンナペット、隣はバーンガートウィタヤーコム中高校現校長のウィライワン ピリヤグリット校長。
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日本語学科の学生達と一緒に記念撮影。
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橋本龍太郎元首相のご揮毫による「安らかに」の文字が鋳込まれた大梵鐘をご覧になる先生方。
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大梵鐘がここに安置されることになった経緯についてご説明申し上げました。
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一緒に大梵鐘を撞かれる先生方。この時の鐘の音は、未だ発掘されずに今もタイやビルマのどこかに眠っている多くの英霊達の御魂に届いたことでしょう。
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鐘楼が建設された時のことについて山谷先生にご説明申し上げました。
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大梵鐘が安置されている鐘楼の前で学生や関係者達と記念撮影。
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いかがだったでしょうか。

次号の「インタノンヤマノボレ」では、先生方が追悼之碑にお越しになることになった経緯や今回の写真で伝えることができなかったことなどについてまとめた記事を掲載します。









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