タイ・ビルマ方面戦病歿者追悼慰霊祭のお知らせ
慧燈財団では、タイ・ビルマ方面戦病歿者追悼式を下記の予定で計画しております。
当日は日本の僧侶が供養のために参加されます。
関心がある方はどうぞご来場ください。
【日時】7月13日(月)午前10時ごろより開始
【場所】チェンマイ県メーワン郡
バーンガートウィタヤーコム中高校敷地内
タイ・ビルマ方面戦病歿者追悼広場
(慧燈財団ホームページ 「追悼の碑・大梵鐘」の中に詳しい地図が掲載されておりますのでご参照ください。)
【お問い合わせ】慧燈財団顧問理事 小西 誠
電話:053−124−527
携帯:085−030−1345
Eメール:konishi@thaijp.net
日本一時帰国紀行9 テラの会
古神道に造詣が深い木村先生は、テラの会の主たる活動として、日本国内はもとより東南アジア・ミクロネシア諸島での戦争歿者追悼慰霊を行なわれております。
またテラの会では、その活動の一環として、上記地域の貧しい子供達に中古衣料の支援等も行なわれております。
日本では、まだまだ充分に着られる衣服が捨てられていますが、それを必要としているアジアの子供達が大勢います。
要らなくなった子供服を有効利用されたい方は、テラの会の事務局までお問い合わせ下さい。
それから、昨年11月、テラの会の主催によってチェンマイ市内で行なわれ大好評を博した『第2回 チャリティコンサート タイ・ビルマ方面戦病歿者追悼之碑に捧ぐ』に続き、第3回目のチェンマイ公演が今年10月に行なわれます。 木村先生の歌のファンの一人として、10月のコンサートがここチェンマイで行なわれることをとても嬉しく思います。
木村先生のお人柄や昨年のコンサートの模様に関しましては、当ブログの局長日誌7から局長日誌13に掲載しておりますので、そちらもどうぞご覧下さい。

横浜駅にて。
和歌に造詣が深い木村先生より、先生の蔵書である『武道歌撰集』をこの日戴きました。
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日本一時帰国紀行8 安倍元首相を表敬訪問いたしました。
昨年、昭恵奥様のご厚情により下関のご自宅でお目にかかった時は、極度に緊張し、伝えたいことの半分も伝える事ができずに自分の不甲斐無さを自責しましたが、今回は大分伝えたいことを申し上げることが出来たと思います。(それでも自己審査から判断すると8割ぐらいでしょうか。)
さて、ここ最近の総理大臣はどなたもそれぞれの個性を発揮され、一般の国民が知らないところで日本を守る為にまさに日本の守護神としてご尽力された、またはされている方達ばかりですが、安倍元首相には他の歴代首相にはない、さらに特別なものがあると私は思います。
それは、今の日本を憂い日本の為なら命を捨ててもいいと考えている、維新の志士のような日本人が大勢、安倍先生を支持応援しているということです。
安倍先生の政治信条が綴られたご著書『美しい国へ』に共感を覚えた日本人はたくさんいると思いますが、それを自分の理想として命を懸けることができる人達が多くいるということは、先行き不安な日本の将来にとって、真に頼もしい力たりえることと言えるのではないでしょうか。
そしてその頼もしい方達の先頭で常に日本の国益と世界の共存繁栄の為に分刻みのスケジュールでご尽力されている安倍先生。また「自国民は何があっても必ず守る」と公言されている安倍先生。
私は一人の日本人として、純粋に安倍晋三先生のことを尊敬します。

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日本一時帰国紀行7 田母神閣下
この講演会の実行委員の方とは、桜会の大西代表を通じてのご縁があり、私が一時帰国して関東に滞在中ということを知った実行委員の方のご厚意により、講演会とその後に行なわれた懇親会にも招待していただきました。
講演では、日本が侵略国家ではなかった事実を論理的に分かりやすく、また時々冗談を交えながら演説される田母神元航空幕僚長に、会場からは割れんばかりの拍手が度々贈られていました。
話している内容がとても濃厚であるにも関わらず、万民に分かりやすい言葉で、歴史的事実として現在も残っているデータを根拠に、日本が侵略国家でなかったことを説明される
閣下の講演は本当に勉強になりました。
また講演会の後は、懇親会にお招きいただき、その席で日本将兵の遺骨収集をはじめとするタイでの活動などを田母神閣下に説明申し上げるとともに、慧燈財団前理事長の著書
『天皇さまが泣いてござった』を贈呈いたしました。
素晴らしい講演の内容を知った全国の志ある方達からの講演依頼が
現在殺到中の田母神閣下。
当ブログの『時事雑抄7 そんなの関係ねぇ!』でも閣下に私は心からの声援を贈らせていただきましたが、改めて閣下のご健勝と益々のご活躍をこの場をお借りしてご祈念申し上げます。
壇上の田母神閣下

懇親会の席で

天皇さまが泣いてござったを贈呈


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日本一時帰国紀行6 濱口和久先生そして新しい歴史教科書をつくる会関係者の方達とお会いしていただきました。
新しい歴史教科書をつくる会の方達とは、慧燈財団前理事長の著書『天皇さまが泣いてござった』の折込チラシを会報誌『史』に折り込んでいただいてからのご縁です。そして今回の日本一時帰国に際して同会の方達のご厚意により濱口先生をご紹介していただきました。
濱口先生お薦めのお店でおいしいお酒と料理に舌鼓を打ちながら、タイやタイ周辺諸国の最近の動向などについて私は意見を申し上げました。また皆様からは国内政治や国際政治についての貴重なお話を伺い、大変勉強になりました。
今回はじめてお会いしましたが、皆様の日本を想う熱い情熱に私も強く刺激を受けました。
やはり日本を変えるには、私達日本人ひとりひとりが正しい歴史認識と日本人としての気高い誇りを持ってそれぞれの持ち場で活動する、まさに草莽崛起の精神が必要とされているのではないでしょうか。
先行きの見えない世界情勢の中、私達日本人の日本がこの先どうなるかは、今の時代を生きる日本人各々方の双肩にかかっていると言っても大げさではないでしょう。
濱口先生そして新しい歴史起教科書をつくる会の方達とお会いしたこの夜は、日本人として今私が為すべきことは何かということについて、改めて考える機会を与えてくれた一夜となりました。
濱口和久先生

濱口先生は先日『思城居(おもしろい) 男はなぜ城を築くのか』という新刊をご出版されました。私は武士に関するものは何でも興味がありますが、ことお城に関しての知識はまったくなく、旅先にお城があれば行ってみる程度でした。産経新聞の書評で、城や城址公園を巡るには格好の入門書と紹介されているこのご著書を拝読して、お城に対する見識を深めたいと思います。
また、新しい歴史教科書をつくる会からは、本年度文部科学省検定試験に合格した教科書が完全収録されている『日本人の歴史教科書』が現在絶賛発売中です。
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日本一時帰国紀行5 大日本戸山流居合道
この日は西郷南州翁顕彰会の方達による記念式典が朝から行なわれ、上和太鼓の演奏や山野愛子着物学院の方達が西郷さんの銅像に和服を着付けたりと見所たっぷりの式典です。
また、我らが戸山流の演武が始まり、型の演武と試し切りが披露されると周りの老若男女、外国人観光客から割れんばかりの拍手が剣士たちに惜しみなく贈られていました。
私は愛刀を持参して行かなかったため、演武には参加こそしませんでしたが、大日本戸山流の一門下生としてとても誇らしい気持ちで一杯でした。
”平成の武人”という感じの奈良先生。また今度お会いした際には、是非稽古をつけていただきたいと願っております。
上和太鼓の演奏


西郷さんの銅像に着物を着付けている山野愛子着物学院の皆さん

西郷さんが和服を着た姿。凄い迫力です。本物の西郷さんはもっと凄い迫力だったことでしょう。

大日本戸山流居合道 型の演武

奈良先生による試し切り

写真左が奈良先生 写真右は桜会代表の大西さん

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日本一時帰国紀行4 昭恵奥様
昨年の8月、日本でお会いした時以来の再会でしたが、ますます素敵な昭恵奥様にドキドキ。この日、昭恵奥様は黒を基調とした洋服を召されていましたが、落ち着いた雰囲気から醸し出されるオーラはまさに貴婦人というか麗人というか。最初は、なんだか気恥ずかしくて直接目を合わせることもできませんでした。昭恵奥様の魅力を私流に表現させていただきますと、『温かい神々(こうごう)しさが溢れる麗人』。元首相夫人だからといって近寄り難いということはまったくなく、どなたにも気さくに接してくださるお優しい方です。
さて、私は昭恵奥様とこれまで何度か食事(飲み?)をご一緒させていただいたことがありますが、なぜか私はその度にお酒に酔って撃沈されてしまいます。私が普段どれだけの酒量を飲むかを知っている人にこのことを話したらみんな「えーっ、ありえない!!」と皆口を揃えて言います。
そういう事情から、この日は前半かなり飲むペースを落として飲んでいたのですが、皆さんのおすすめもあって一口が二口、二口が四口、四口が八口・・・以下2乗が永遠に続く・・・となり、結局撃沈。私は覚えていないのですが、途中、皆さんの前で一時間くらい爆睡していたそうです。(ヨダレが出ていなかったか今でも心配)
後日将口さんから聞いたお話によれば、その後ムクッといきなり起き出して、また平然とした顔で飲み始めたとか。 「あーあ、やっちゃった・・・。」であります。
しかし、こういう無礼者の私に対しても、昭恵奥様はいつもどおりに優しく接してくれるのでした。
という訳で、私はこの日、昭恵奥様や皆さんの写真を撮ることが出来ませんでしたが、
昭恵奥様のブログに撃沈30分前に撮影された私の写真と私のことが紹介されていますので、ご興味がおありの方は、以下のアドレスをクリックしてみてください。
http://www.akie-abe.jp/index.php?date=2009-4-30
お会いする度に、昭恵奥様のお人柄と素敵な魅力にどんどん引き込まれていく私です。
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日本一時帰国紀行3 山口県
冗談はこの位にして、今回の山口訪問で私の心に特に印象深く残っている出来事をご紹介します。
私は東横インホテルという単身出張者向けのビジネスホテルに泊まっていたのですが、その丁度裏の通りに、女主人が切り盛りする、こじんまりとしたうどん屋さんがありました。夜中に下関に到着した私は小腹がすいたので、夜食を摂るためにそのお店に入りました。
お店の中では、20歳前後の若い男性2人がカウンター席で食事中でした。カウンターの中に備え付けのテレビに夢中の若者達は、テレビを見ながら黙々とうどんを食べています。私が注文したうどんが運ばれてきた時、丁度彼らは食事を終えたようです。そして彼らはおかみさんに「おご馳走様でした。お勘定いくらですか?」と言ったのです。
『おご馳走様でした。』 世界のほとんどの国では、食前の挨拶の言葉も食後の挨拶の言葉もありません。またよしんばあったとしても、食事を作った人にねぎらいの言葉をかけることはまずありません。ただ当たり前のように目の前の料理を食べるだけ。ここタイも同じです。
日本では普通の光景なのかもしれませんが、外国に長い間滞在している私は、彼らがおかみさんに向けて言った「おご馳走様でした。」というこの一言を聞いて感動せずにはいられませんでした。
2669年前の私達の先祖から受け継がれているたくさんの良き習慣が、現在のハイテク化された日本に住む若者の間でも当たり前のこととして根付いている。これこそ日本が世界に誇れる一番素晴らしいことなのではないでしょうか。
*山口県といえば長州、長州といえば維新の志士、維新の志士といえばなんといっても
高杉晋作です。前回の訪問時にも訪れた、高杉晋作ゆかりの桜山神社(桜山招魂社)・
功山寺に行ってきました。
桜山神社(桜山招魂社)の入り口

桜山神社(桜山招魂社)の本殿

吉田松陰先生の霊標を真ん中にいただき、整然と並ぶ奇兵隊隊士の霊標

日本一時帰国紀行2 浦頭港
かえり船 作詞 清水みのる 作曲 倉若晴生
波の背に背にゆられてゆれて
月の潮路の 帰り船
霞む故国よ 小島の沖じゃ
夢もわびしく よみがえる
捨てた未練が未練となって
今も昔の 切なさよ
瞼あわせりゃ 瞼ににじむ
霧の波止場の銅鑼の音
熱い涙も 故国に着けば
嬉し涙と 変わるだろ
鴎行くなら 男の心
せめてあの娘に伝えてよ
前号で紹介した佐世保釜墓地から車で約5分南下したところに浦頭港という港があります。64年前の混雑がまるでうそみたいに今は静かで小さな港です。
日本敗戦後、この浦頭港には、着の身着のままの引揚外地在留邦人139万6468人がこの地に祖国帰還の第一歩を踏み出し、ここからそれぞれの故郷へと帰っていきました。139万人といったら今の長崎県の人口とほぼ同じ数ですから、どれだけ多くの方々がこの地を経由して自宅や親戚知人宅に帰ったか推して知るべきでしょう。
資料によると引揚者の割合としては、一般在外邦人が一番多く75万8879人、続いて陸軍軍人61万3411人、そして海軍軍人が2万4178人となっています。
また一般在外邦人は満州・朝鮮・華北・華中からの引揚者が圧倒的に多いのが特徴です。(タイからも一般在外邦人75人が引揚船によってこの地に上陸しています。)
戦後、引揚船が入港した全国の主な港は、佐世保・博多・鹿児島・門司・下関・仙崎・呉・舞鶴・横浜・浦賀の10港で、引揚者の総数は約629万人だったということです。
ちなみに昭和29年に大ヒットした歌謡曲『岸壁の母』は、ソ連のシベリア強制抑留から帰ってくる息子を迎えに舞鶴の港で待ち続けた母親がモデルとなった歌曲ですが、冒頭で引用した『かえり船』はこの佐世保浦頭港が舞台となった歌曲で、田端義夫が唄いこちらも戦後大ヒットしました。
浦頭港の近くの高台には『浦頭引揚平和公園』があり、敷地内には引揚当時の写真や、元引揚者寄贈の貴重な品々が展示されている博物館もあります。
博物館の資料によると、敗戦国の国民となった外地在留日本人に対するソ連人・支那人・朝鮮人からの容赦仮借ない暴行・略奪・陵辱などの酷い仕打ちにおびえる毎日を過ごしていた在外邦人が明日はどうなる身か分からずに路頭に迷っていた時に入ってきた引揚事業開始の知らせは、まさに地獄から脱出する一縷(いちる)の望みであったということです。
しかし、外地からの引揚時に持って帰ることができるのは、リュックサック一つだけ。外国で一生懸命真面目に働き合法的に財を築いたのに、現地政府またはその国の兵隊達によって資産を全部強奪されるという不条理。それでもこの引揚船に乗って、同胞達が待つ安全な日本に帰ることを心の拠りどころとして、皆歯を食いしばって耐えたとのことでした。
引揚船の中はすし詰め状態で、1人につき畳半畳分の場所しか確保できなかったそうですが、乗船直後「これからは皆さんの周りの人は皆日本人ばかりです。どうか安心してください。」との船内放送が入り、大人も子供も皆感激の涙を流したそうです。
そういう大変なご苦労をされた方達が、日本帰還の第一歩を印した場所がこの佐世保浦頭港です。引揚者の方達は浦頭港に上陸後、港内に開設されている援護局で静養をとり、それぞれの故郷へと帰っていきました・・・。
それから5年が経ち、時の総理大臣 池田勇人首相をして「もはや戦後ではない」といわしめた空前の高度成長期に日本は突入し、その後時には不況であえいだこともありましたが、今日まで成長を続け、現在我が国は世界第2位の経済大国という豊かな国になりました。
それは、日本に引揚後、無一文からの出発で日本再建の為に汗水流して一生懸命がんばった引揚者の方達のご尽力があったことも大きく関係していることと私は思います。
『浦頭引揚平和公園』から望む浦頭港

引揚記念碑

*私は、浦頭港の『引揚第一歩の地』と書かれた記念碑の前にただずみ、感慨深い思いで一杯でした。なぜかというと、慧燈財団前理事長の自坊『因通寺』の境内に戦後開設された戦争罹災孤児引揚養護施設『洗心寮』で擁護された孤児達は、満州・朝鮮・フィリピンなどから命からがらの思いでこの浦頭港へ辿り着き、始めて見るふるさと日本への第一歩を印し、彼らを迎えにきた前理事長と共に、ここから佐賀県因通寺へと向かったのでした。
前理事長の著書『天皇さまがないてござった』には外地での彼らの苦難の様子がありありと描かれており、私はその情景をこの浦頭港で思い浮かべ、胸が潰れそうになりました。



















浦頭引揚記念平和の像 下部は引揚家族の像


日本一時帰国紀行 1 佐世保釜墓地
まずは、4月19日に執り行われた『佐世保釜墓地戦歿者 慰霊祭』に参加した時のことからです。
取材などを通じて知り合った長崎放送の熊切さんのご案内で、『社団法人 佐世保釜墓地戦歿者護寺会』が主催するこの慰霊祭に出席しました。
佐世保釜墓地は、長崎県佐世保市江上町にあります。墓地からは、長崎の観光名所『ハウステンボス』のシンボルタワー『ドムトールン』や米軍の施設が見えます。
この佐世保釜墓地は、 昭和24年1月9日、佐世保市の浦頭港にフィリピンなどの海外から引き揚げられた307柱のご遺骨と4515柱のご遺体が荼毘に付され、その御霊が弔われているところです。他にも、多くの在外邦人が戦後、外地で戦災難民になってそれこそ命からがらの思いで日本へ帰る引き揚げ船に乗り込み、ふるさと日本を目指しましたが、残念ながら航海の途中で亡くなった方達や浦頭の港までは到着したものの、故郷に帰る途中、栄養失調や病気で亡くなった方々約2000人がここで荼毘に付されたそうです。
『佐世保釜墓地戦歿者護持会』の調査によると、荼毘に付された遺骨・遺体の一部は戦後64年が経った今でも遺族のもとに返されていないことが明らかになっているとのことでした。
毎年行なわれているこの慰霊祭は今年で28回目をむかえます。
この慰霊祭のご祭主は、元全国都道府県議会議長会会長そして元長崎県議会議長でいらした長崎県議会の重鎮 宮内雪夫先生です。
先生がこの釜墓地を発見された時は、まだ誰からも管理されておらず草が生い茂げ荒れ果てていたそうです。それを目の当たりにした先生は、これはなんとかしなければならないと釜墓地の整備にご尽力され、今では立派な慰霊施設となりました。
先生はご挨拶で、先の大戦で犠牲になった数多くの方達のおかげで今日の豊かな日本があることを私達はけっして忘れてはいけないと参加者に訴えていらっしゃいました。
この地に埋葬されている方達やこの地で亡くなった方達、またこの地を経由してふるさとに帰っていかれた御霊に対し、心からご冥福をお祈り申し上げます。
慰霊祭が始まる前に、海上自衛隊佐世保音楽隊より、『故郷』など日本の唱歌の演奏が披露される。

佐世保市立東明中学校生徒代表と佐世保市立江上小学校児童代表そして佐世保市立針尾小学校児童の代表より、霊水とおにぎりが献上される。

アメリカ合衆国 海軍佐世保基地司令官代理 参謀長ジョナサン ルイス中佐より献花が捧げられる。

長崎県知事・佐世保市長をはじめ、防衛副大臣そして長崎出身の有力国会議員・県会議員・市議会員が毎年この慰霊祭に参加する。

遺族・関係者による献花拝礼。

後方より会場を撮影。桜がまだ若干残っていた。

佐世保釜墓地護持会会長 宮内雪夫先生







